昭和44年03月26日 朝の御理解



 御理解 第53節
 「信心すれば、目に見えるおかげより目に見えぬおかげが多い。知ったおかげより知らぬおかげが多いぞ。後で考えて、あれもおかげであった、これもおかげであったということがわかるようになる。そうなれば本当の信者じゃ。」

 信心すれば目に見えるおかげより目に見えぬおかげがの方が多い。知ったおかげより知らぬおかげの方が多い。いわば知らぬおかげ目に見えぬおかげ、その目に見えぬおかげが、目に見えるおかげになって来た時、本当のおかげが頂かれるのです。目に見える、ね、おかげをお願いする。ね、打てば響くようにおかげが頂かれる。これは誰でも分かります。目に見えるおかげです。いわゆる知ったおかげです。気付くおかげです。
 目に見えぬおかげ、ね、知ったおかげより知らぬおかげ、ね、その知らぬおかげの方が多いと。たとえて言うなら、種を蒔くといたしましょう。芋なら芋を、芋だねをこう植えて行くとする。神様がこちらが信心すりゃ信心するだけのおかげ、あの、・・ですから私どもは一つも分らんのです。・・・・?そいでこれほど信心する……(声が聞きとれない)・・・・・・本当の・・・・から願いに応えて様々な修行をさせて頂く。
 修行するけれどもひとつも形に現れてこない。そりゃまだこう蒔とって下さる。ね、それが一斉に実を切るようになったときに初めて、なるほどおかげだなと言うことが分かる。お父さんが一生懸命信心しござったが、ね、お父さんの時には大したことはなかったけれども、子供さんの代になったら、ね、それこそそのおかげの芽がいっぱい出て、おかげを受けられる、ね。これなんかは目に見えぬおかげ、ね。
 その目に見えぬおかげがね、知らぬおかげがね、それがほんとの目に見えるおかげになってきた時が、いわば華々しいおかげと申しましょうか、いわば私どもが願ってやまなかったおかげなのです。いかにそこの目に見えないおかげということを大事にしなければならんかと言うことが分かる。知ったおかげより知らぬおかげ、私どものあまり凡夫のことでございますから、どこに御粗末御無礼があるやらわからんと同時に、どこにどのような神様の働きを頂いておるか分らんのでございます。
 その神様のそのお働きこそがです、いよいよ、ね、分らして頂ける所にです、信心のいわゆる味わいと言うのがあるのです。ある時に甘木の初代、まだ今のようなずっと、あのまそれこそ、ま一世を風靡されるほどのごひれいだったんですね。甘木そういうごひれいになる前、こちらの奥様が、老奥様がお夢を頂かれた。もうそれこそま荒廃しきったようなその土地をね、お年寄りのお百姓がせっせと耕しておられる。
 そこの横をその奥さんが夢の中に通られると、呼び止められた。ね、そして帰ったら安武に言うておけと仰った。そのお年寄りが、帰ったら安武に言うておけ。備中の金光大神がね、このようにしていわゆるおかげのいわば開拓と言うかね、の地肥しとか地ならしとかをしておるぞと、あの仰せられた。ね、とにかく当時の修行されると言う小倉で修行なさったんですけれども、もう一年足らずでどんどん布教に出られる。
 それに引き換え、安武先生は七年間、小倉のお広前に修行された。ね、自分がおらなかったらあの御用もでけん、この御用もできん、それじゃ親先生が大変だ、そう思われたら布教の段じゃなかったと言うておられます。ね、だからもう一年もう一年と言うて七年間されてます。その七年間、人は一年間または二年間せいぜい、ね、だから、一年を一反にするならば、ね、
 一反のところの耕しをされるのと、七年間であるならば七反の言うなら例えばこりゃ、たとえですよ。ね、一年が一反と言うならば七年間なら七年間、いわば七反の田を七年の間に目には見えないけれども、備中の金光大神がちゃんと地ならしをしてあって下さった、開墾をしておって下さった。種さえまきゃいつでも生えるようになとる、そう言う働きをしておるぞと安武に言うておけとそのお夢の中で言われた。
 まさしく金光大神のそうした目に見えぬ働きと言うものをです、ね、勿体なしとして感じられたと言うことでございます。信心に打ち込ましてもらう、御用に打ち込まして頂く、けれど仰せられるのですから、ね。それが長ければ長いだけ、それが本当に、のものであれば本当のものであるだけにです、ね、目に見えんところの神様の働きと言うものは、どれだけあっておるやら分らないと言うこと。
ここんところを物見遊山にですね、ぱっとこう植えたんじゃない、元から持ってきて下さったようなおかげを頂くと、は、広大なおかげを頂いたと言うけれど、ね、教祖の神様は今日の五十三節、ここんところを皆さんが、私今日は、ね、この御理解はもう繰り返し繰り返し頂いておりますけれど、今日の御理解はここんところ、お互いが目に見えぬおかげこそがです、その目に見えぬおかげ知らぬおかげがです、ね。
 本当に知ったおかげになるまで、目に見えないおかげが、本当に目に見えてくるようになる、そのおかげこそが本当のおかげだと言うことをひとつ分って頂きたいとこう思う。それにはね、やはりあれもおかげであった、これもおかげであったと言うことが分かるようになるとこういうておられますが、ね、あれはおかげであったけども、これはおかげじゃない。これはおかげだけども、あれはおかげじゃなかったと、ね。
 ここに信心のいうなら追求不足を感じます。
ね、信心の深さ、広さと、いわゆる目に見えぬおかげ、または知らぬおかげの追求と言うものが足りないから、あれはおかげであったけれども、これはおかげとは思われんとこう言うのである。または、これはおかげと思うけれども、あれはおかげとはどげんしたっちゃ思われんとこう言う。ね、そこに本当なものでない証拠、いわゆる本当な信心でない証拠が、も、はっきりと歴然としてきた。それが両方が分るようになると、ほんと真実の信者じゃとこう言うておられる。
 ほんとにあれもおかげ、これもおかげと分るようになると。ね、そこんところの信心をしっかり私は頂いて行かなきゃいけない、ね。目に見えるおかげより目に見えぬおかげが多いと。その目に見えぬおかげが、ね、いよいよ目に見えてくるようになる。どうでしょうか。ね、一年間修業して布教に出られた教会と、七年間もしかも親のため師匠のために一心に、一心を捧げての、真心捧げての教会御用、七年間も教会御用になった安武先生との、その後のごひれいの違いと言うこと。
 目に見えぬおかげの働きと言うのがです、ね、甘木のあの一大ごひれいになって行ったんです。ですからこれをどういうことになるかと、日頃頂いておるみ教えのことを、の言葉を借りて言うとどういうことになるかと、ね、神の用を足しゃ、氏子の用は神が足してやる、と仰る四神様の言葉がありましょうが。神の用を足しゃ、氏子の用は神が足してやる、安武松太郎先生、いうなら七年間、神の用を足された。ね、
 そこに安武先生が願ってもやまれなかった、いわばあのごひれいがです、氏子の用は神が足してやって下さった。久留米の石橋先生はね、人間の一握りてや、これだけだけれども、神様の一握りていや、どれだけあるか分らんと仰った。人間がどんなに努力したところで、人間がどんなにばたばたしたところで、それはそれだけのものなんだ。やっぱ働きゃ、働くがたある。けどもそりゃ働くがたあるだけなのだ。ね、
 無限のものにつながってないです。神の一握りといやどれだけあるやら分らん。このおかげにつながらんやいかんです。そこんところの一つの空間のようなものがです、ね、所謂目に見えないものであり、知らぬおかげなのです。私はこのへんのところをね、ようとやっぱ腹に入れなければ金光様の御信心のほんとに修行の楽しみもなからなければ、ね、信心したらした方、頂くおかげと言ったようなものでなくてです、ね、
 その目に見えないおかげ、その目に見えないおかげ、知らないおかげ、その知らないおかげが、ね、私どもは寝ておる間もです、ずっと働きがあっておる。言うなら安武先生は一生懸命小倉で御用があっておる時に、備中の金光大神は、ね、帰ったら安武に言うておけと仰るように、ね、いわゆる安武先生は教会一生懸命の御用があっておるのに、備中の金光大神はもう、一生懸命いわゆるもう次に布教に出られる甘木の安武先生の行かれる場所というものをもう作っておられる。
 教会創りもあっておる。信者作りもどんどんあっておる。だからこそ教会全然甘木という地名も知られなかったと言うようないわば荒地ですね、その荒地に布教されたのだけれども、安武松太郎先生が甘木の地に行かれたと同時のように、それこそワーッと歓声が上がるようなごひれいが輝いてきた。桂先生、安武先生のところだけどうしてあげん、そのごひれいが立つでしょうか、出られて間もないのにどうしてあんなに人が助かるじゃろうかと言うて不審に思うた先生が尋ねたときに桂先生が仰っておられる。
 安武はぶたいうらの修行が長かったとおっしゃった。みなが舞台にばっかり出ろうとする。けれどもその舞台裏の御用を勤めて勤めて修行したから、花道に立った途端に、大向こうからわぁっと歓声が上がったようなもんじゃと言われたと言うことです。私はここんところをね、いわっゆる目には見えないおかげ、いわば知らぬおかげ、安武先生は知ってはなかっただろう。
 自分はこうやって備中の金光大神に働いて貰う為に七年間も辛抱したんじゃなかった。ただ親のことを思うた、師匠のことを考えりゃ出るに出られなかった。ね、その目に見えないその空間の間に、所謂氏子の用は神がずっと足してやって下さっとった。それはしかし目には見えなかったんです。けどもその目に見えなかったおかげ、目に見えてき出した時に、あの甘木のごひれいであったと言う事を思うただけでもです。
 今日の御理解そういう面から頂いたわけですね。目に見えるおかげより、目に見えぬおかげの方が多いと。その目に見えぬおかげの方が、いわばおかげの芽が出て来る様な、知ったおかげよりか知らぬおかげがです、いつの間にか神様が、一生懸命いわば地均しをしておって下さる、開拓をしておって下さる、それの方が尊い。そこで私どもがですたいね、そこの所の追及をさして頂いて、ね、あれもおかげであった、これもおかげであったと、分る様な信心にならなければならんと言う事。
 あれはおかげだけれどもこれはおかげじゃなかと、これはおかげと思うけれども、あれはおかげじゃなかったと思う、と言うようなことでは自分自身の信心が本当のものじゃないことを悟らしてもろうて、そこんところの追求をしていくところからです、はぁ、おかげじゃったと、神様の願いは、思いはここにあったと、分らしてもらう時に、いわゆるあれもこれも一緒におかげが頂けれる。
 そこに本当の信心が生まれる。そういう本当の信心から、知らぬおかげ、または、目に見えぬおかげが目に見えてくるようになる。これが神の一握りであり、氏子の用は神が足してやると仰せられるおかげがそれだと私は思うのです。どうぞ一つおかげを頂いて、その目に見えぬおかげがおかげになって現れてくるところまで、信心辛抱さしてもらわなきゃいけませんですね。
   どうぞ。